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最後の審判 1

まえがき◀︎目次▶︎2

(1)最後の日によって世の滅亡は意味されない

1 みことばの霊的な意味を知らない者は、最後の審判の日に、世の中で目の前に見られるすべてのものが滅びること以外に、他のことを理解しません。なぜなら、「その時、天は地とともに滅び、神は新しい天と新しい地を創造する」と言われているからです――この見解もまた、「その時、すべての者は墓から起き上がり、その時、善い者は悪い者から分離されること、等々」と言われていることによって確信しています――しかし、みことばの文字どおりの意味は、自然的であり、神的な秩序の最後のものの中にあるので、みことばの文字どおりの意味でこのように言われていても、そこのすべてと個々のものは霊的な意味をそれ自体の中に含んでいます。そのために、単に文字どおりの意味だけにしたがってみことばを把握している者は、それぞれの者がみことばから確信されているいろいろな見解の中に駆り立てられてしまいます、キリスト教世界の中でもまた起こっているように、ここからその世界にはこのように多くの異端があります。
[2]しかし、だれも依然として、みことばのすべてと個々のものに霊的な意味が内在することを知らなかったので、何が霊的な意味か何か決して知っていません、それゆえ、最後の審判についてこの見 解を得た者は容赦されるべきです。しかしそれでも、今や、彼らは、目の前に見える天も住める地も滅 びないで、両方とも存続することを、また「新しい天と新しい地」によって、天界にも地上にも、新しい教会が意味されることを知るべきです。
天界の中の新しい教会と言われるのは、地上と同様にそこに等しく教会があるからです。なぜなら、そこに地上のように、等しくみことばがあり、等しく説教があり、同様の神礼拝があるからです。しかし、そこのすべてのものは自然界の中になく、霊界の中にあるので、そこのすべてのものはさらに完全な状態の中にあるという相違があります。ここから、そこのすべての者は霊的な人間であり、世の中であったような自然的な人間ではありません(そのようであることは、著作『天界と地獄』に、特に、そこの「みことばによる人間と天界の結合」(303-310番)、「天界の神礼拝」(222-227番)について扱われているところ参照)。