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結婚愛 71

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71 主から真の結婚愛を受け入れる者以外に、他の者たちはその愛の中にいることができません、その者はその方に直接に近づき、その方から教会の生活を生きる者です。起源から、またその対応から眺められたその愛は、天界の天使のもとに、また教会の人間のもとにあるすべての愛よりも、天的な霊的な聖なるもの、純粋で清潔なものであるからです(例えば、前の64番)。またこれらのその属性は、主と結合し、その方により天界の天使と仲間となっている者のもとにしか与えられることができません。というのは、これらの者は、自己のものとの以外の、すなわち、自己の配偶者との以外の他の者と結合する結婚外の愛を、霊魂の損傷のように、地獄の池のように避けるからです。また、配偶者がその結合を、意志の情欲とここからの意図に関しても、避ければ避けるほど、それだけ彼らのもとのその愛は清められ、継続的に、最初に地上で生きている時、またその後、天界で霊的になります。
[2]人間のもとで、ある者の愛は決して純粋になることができません、天使のもとでもできません、そのようにこの愛もまた純粋になることができません。しかし、意志に属すものである意図が、主により第一に眺められるので、それゆえ、人間がこの中にいて、この中で持続すればするほど、それだけ、純潔と神聖さの中に導かれ、継続的に前進します。
主からそのような者である者以外に、ある者たちが霊的な結婚愛にいることができないのは、天界がその中にあるからです。自然的な人間は、その者のもとでその愛が肉だけからその心地よさを得ていて、天界へ近づくことができません、その中のその愛がある天使のだれも、それどころか人間のだれも近づけません、というのは、この愛は天的なまた霊的な愛すべての愛の根本的な愛であるからです(前の65–67番参照)。
[3]そのようであることが、経験から私に確信(証明)されました。

私は霊界で地獄へと準備されていた悪鬼を見た、その者は、自分の配偶者と楽しんでいる天使へ近づいた――少し離れていた彼らは、近づくにつれて、怨霊のようになり、避難所として洞窟や穴を探して、その中へ自分自身を投げ込んだ。

悪霊は、どれほど不潔であっても自分の情愛と同質のものを愛します、そして天界の霊を、純粋であるので、自分に異質なものとして退けることを、「序文」で記したことから結論することができます(10番)。