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結婚愛 142

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142 (3) キリスト教徒の結婚にだけ貞潔が存在する
このことは、真の結婚愛が人間のもとで、彼のもとの教会の状態と似た歩みを進めるからであり、それは主からです(例えば、先行する章の130、131番に、また他の箇所に示されています)。なおまた、教会は、みことばの中のその本物の真理の中にあり、主はそこのそれらの中に現在されるからです――これらから、キリスト教界にしか貞潔な結婚が存在しないこと、もし存在しなくても、それでも存在可能であることがいえます――キリスト教徒の結婚によって、ひとりの夫とひとりの妻の結婚が意味されます。
この結婚のものは、キリスト教徒の生来のものとして生じ、真の結婚愛にいる両親から子孫の中に遺伝によって続けられることができます、それから、それら知恵への能力と傾向が一緒に生まれ、それらは教会と天界のものであることが、その箇所に見られます。
キリスト教徒は、もし多くの妻をめとるなら、自然的な姦淫だけでなく、霊的な姦淫もまた犯すことが、「一夫多妻について」の章の中で示されます。