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結婚愛 207

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20  天界での職務について、ギリシアの古代の賢人たちから

207 (これらに私は二つのメモラビリアを加えます、第一のものはこれ——)
いくらかの時の後、私はアテネの都を眺めた、それについては前のメモラビリアで何らかのものが言われた〔151b, 182番〕。私はここから異常な叫びを聞いた。その中に何らかの笑いがあり、この笑いの中に何らかの憤り、この憤りの中に何らかの悲しみがあった。しかしそれでも、その叫びは、あるものがもう一つのものと同時にあるのではなかったので、このことから不協和でなく、あるものがもう一つのものの内にあったので調和した。霊界では、情愛のいろいろなものや混合物が明瞭に音の中に知覚される。
私は遠方から質問した、「何事ですか?」
彼らは言った、「キリスト教界から到着する者が最初に見られる場所から使者がやって来て、そこで三人の者から聞きましたが、『そこからやって来た世界では、祝福された者や幸福な者に、死後、労働からのまったくの休息があり、管理・職務・仕事は労働であるので、それらからの休息がある、と他の者とともに信じた』と言いました——私たちの使者により彼ら三人が今、連れて来られ、門の前に立ち、待っているので、叫びが起こり、キリスト教界からのその新しい情報を明らかにするために、前のようにパルナッソスのパラディウム(知恵の神殿)の中でなく、大きな講堂に導き入れられることを、熟慮して決めました。彼らを礼儀正しく導き入れるためにある者たちが委任されました」。
[2]私は霊の中にいたので、霊たちに彼らの情愛の状態にしたがって距離があり、その時、私に彼らを見たい、聞きたい情愛があったので、私にそこに居合わすことが見られた。私は導き入れられる者たちを見、話す者たちの話しを聞いた。
講堂で、長老または賢人たちは脇に、他の者は中央に座った。これらの者の前に盛り上がった地面があった。ここへ三人の到来者が使者とともに習慣的な礼儀とともに若者たちにより講堂の中央を通って導かれた。そこで沈黙の後、ある年長者から挨拶され、「地からのニュース(新しい情報)は何か?」と質問された。
彼らは言った、「多くのニュースがあります、しかし、どうぞ、どの事柄についてか言ってください」。
年長者が答えた、「私たちの世界と天界について、地からのニュースは何か?」
答えた、「この世界に私たちが新しくやって来たとき、私たちは、そこに、また天界に、管理・統治・職務・役目・商売・すべての学問の研究・技術の驚くべきものがあることを聞きました。それでも私たちは、自然界からこの霊界へ移住または移動の後、私たちが労働からの永遠の休息へやって来ることを信じました——労働がないのに任務とは何ですか?」
[3]これらに年長者は言った、「あなたがたは、労働からの永遠の休息を、胸で歓喜を引き寄せ、口で楽しさを吸い込み、絶えず座り、横になっている永遠の怠惰と理解したのか?」
これらに三人の到来者は穏やかに笑って、「そのような何らかのものを思いました」と言った。
その時、彼らに答えられた、「怠惰と共通なものに、何の楽しさ、歓喜、ここから幸福があるのか? 怠惰から心はつぶれ、広げられない、すなわち、人間は鈍らされ、生かされない。
手をこまぬいて、目を落として、または引っ込めて、まったくの怠惰の中に座っている者を仮定せよ、また、彼が同時に喜びのオーラで取り巻かれると仮定せよ、麻痺(だるさ)が彼の頭と身体を占めないか、そして顔の生命力の広がりは衰え、最後に彼は繊維の弛緩で、地に倒れる時まで、うなだれ、よろめかないか?
全身の組織を心に集中させること以外に、何が拡張と緊張を保つのか? その時、快さから行なう管理や仕事からでないなら、心の集中はどこからか?それゆえ、私はあなたがたに天界からのニュースを言う、そこに管理・職務・大小の裁判、なおまた技術や仕事があることである」。
[4]三人の到来者は、天界に大小の裁判があることを聞いたとき、「なぜ、それらがあるのですか? 天界のすべての者は神から霊感を受け、ここから何が公正と正直か、導かれるのではありませんか? その時、裁判官の仕事とは何ですか?」と言った。
年長者の男が答えた、「この世界で私たちは、何が善と真理か、なおまた何が公正と公平か、自然界と同様に、教えられ、学ぶ。これらを私たちは神から直接にでなく、しかし他の者から間接に学ぶ。すべての天使は、すべての人間のように、真理を考え、善を自分自身からのように行なう、このことは天使の状態にしたがった混合物であり、純粋なものではない。そしてまた、天使たちの間に単純な者と賢明な者が存在し、賢明な者は、単純な者が単純さからまた無知から公正について疑う、またはそれらから去る時、判断する。
しかし、あなたがたは、近ごろ到着して、これからはこの世界にいるので、よろしかったら、私たちの都へと私に続きなさい、私たちはすべてのものを見せよう」。
[5]講堂を出た、長老たちからのある者たちもまた彼らに集められた。最初に大きな図書館へ〔行った〕、それは学問にしたがって小さい書棚に分かれていた。
彼ら三人の到来者は、このように多くの本を見て、唖然とし、言った、「この世界にも本がある。羊皮紙と紙はどこから、ペンとインクはどこからですか?」
これらに長老は答えた、「私たちは、前の世界であなたがたが、この世界が霊的であるので、空っぽである、と信じていたことを知覚する。このことをあなたがたが信じたのは、霊的なものについてあなたがたが物質的なものから離れた(抽象した)ものを心に抱いたからである。物質的なものから離れた(抽象した)ものはあなたがたには無のように、そのように空っぽに見える。そのときそれでも、ここにはすべてのものが充満している——ここのすべてのものは実体的なものであり、物質的なものではない、物質的なものはその起源を実体的なものから得ている。ここにいる私たちは霊的な人間であり、実体的であるので、物質的ではない。
ここから、ここに自然界にあるすべてのものが存在する、それはその完全性の中にあり、さらにまたはるかに多くの本と文書がある」。
3人の到来者は、このように多くの本と文書を見もし、物質の起源が実体からである、と言われたことを聞きもしたので、実体的なものと言われるのを聞いた時、そのようであると思った。
さらにこのことについて確信させられるために、筆記人の居場所へ送られた、その筆記人は都の賢明な者により書かれた原本を筆写していた。書かれたものを眺め、このように美しく、優雅であることに驚嘆した。
[6]この後、研究所・高等学校・大学へ導かれ、そこに彼らの文芸の遊びがあった、それらのあるものをヘリコーンの乙女たちの遊び、あるものをパルナッソスの乙女の遊び、あるものをアテネの乙女の遊び、またあるものを泉の乙女の遊びと呼んだ。これらはそのように名づけられる、と言った、「乙女」は知識(学問)の情愛を意味し、知識(学問)の情愛にしたがってそれぞれの者に知性があるからである——そのように遊びと呼ばれた、霊的な訓練や論争であったからである。
その後、都の中を、監督官、行政官(管理者)、役人(官吏)たちにより、霊的な方法で職人によって行なわれていた驚くべき仕事へと連れ回された。
[7]これらが見られた後、再び彼らに年長者の男により、死後、祝福された者や幸福な者がやって来る労働からの永遠の休息について話された——「永遠からの休息は、心とここから身体の怠惰からの弱さ・不活発・麻痺・眠気のような怠惰ではない、これらは死であり、いのちではない、まして天界の天使がいる永遠のいのちではない。それゆえ、永遠の休息はそれらを追い散らし、人間を生きるようにする休息である。これは心を高めるようなものでしかない——それで、何らかの心の傾注と行ないであり、そこから奮起させられ、活気づけられ、心が楽しむ。このことが役立ちから、その中に、またそれへ働きかける役立ちにしたがって生じる。ここから、全天界は主から役立ちの容器のように見られ、それぞれの天使が役立ちにしたがって天使である。役立ちの快さは、彼を、潮流にしたがう船のように導き、永遠の平和の中に、平和の休息の中にいるようにする。そのように労働からの永遠の休息は理解される。
天使が役立ちからの心の傾注にしたがって生きいきとなることは、それぞれの者に結婚愛があること、その力、活力と楽しさとともに、本物の役立ちへの心の傾注にしたがって、その中にあることからはっきりと明らかである」と言った。
[8]それらの三人の到来者が、永遠の休息は怠惰ではなく、役立ちのものである働きの何らかの快さであることを確信させられた後、ある乙女たちが自分たちの手の働きによる刺繍された衣服と縫い物とともにやって来て、彼らに贈った。乙女たちは、それらの新来の霊たちが去るとき、歌を歌った、それによって役立ちの働きの情愛を、その快さとともに、天使の歌で表わした。