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結婚愛 369

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369 (8) 一夫一婦の者に霊的な嫉妬があり、一夫多妻の者に自然的な嫉妬がある
一夫一婦の者のもとに霊的な嫉妬が存在することは、前に豊富に示したように、これらの者だけが霊的な結婚愛を受けることができるからです――存在すると言われます、しかし彼らのもとにありうることが意味されます。一夫一婦の結婚があるキリスト教界の極めてわずかな者のもとでないなら存在しません、しかし、それでもそこにあるうることは、前にも論証しました。
一夫多妻の者のもとの結婚愛は自然的であることは、一夫多妻についての章(345, 347番)の中に見られます。その時、嫉妬も同様であり、これは愛に続くからです。
[2]一夫多妻の者の嫉妬がどのようなものか、東洋人のもとのそれらについて、ある者たちの個人的な観察による物語で教えられます。それらは、妻たちやめかけたちは、強制収容所の中の捕虜のように守られ、男たちとのすべての連絡から妨げられ、抑えられること、女性用の部屋または見張り番がいる彼女たちの部屋の中に、宦官が伴っていないなら、男に入ることが許されないこと、もしある女が好色な目または顔つきで通り過ぎる者に目を向けるなら、厳しく監視されること、もしこれが認められるなら、女は打つことで懲らしめられること――もし狡猾さによってある男を入り口または外部に引き入れて、みだらなことを行なうなら、死で罰せられることです。