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結婚愛 427

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427 (4) 淫行愛は、悪と虚偽のつがいが善と真理の結婚に対立しているように、結婚愛に対立している
結婚愛の起源が善と悪の結合からであることは、前のその章の中で示しました(83番から102番まで)。ここから、淫行愛の起源が悪と虚偽のつがい(交尾)からであること、またここから、悪が善に、そして悪の虚偽が善の真理に対立しているように、対立していることがいえます。両方の愛の快さがあり、それらはそのように対立しています、なぜなら、愛は、その快さなしに、何らかのものでないからです。
[2]これらがそれら自体にそのように対立していることは、まったく見られません――見られないのは、悪の愛の快さは外なるものの中で善の愛の快さを偽装しているからです。しかし、内なるものの中で悪の愛の快さは悪の欲望そのものから構成されています。悪それ自体はこれらのまるまった堆積または塊です――しかし、善の愛の快さは善の情愛の無数のものから構成されています、善それ自体は合わされたこれらの束のようです――この束とその塊は人間から一つの快さのようにしか感じられません、悪の快さは外なるものの中で善の快さを偽装しているので、言われたように、それゆえ、姦淫の快さも結婚の快さのようです。しかし、死後、だれもが外なるものを捨て、そして内なるものが裸にされる時、姦淫の悪が悪の欲望の塊であること、結婚の善が善の情愛の束であること、そのように、それら自体にまったく対立していることが感覚に明らかとなります。