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結婚愛 455

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455 (10) 私通しようとする情欲のスフェアは、始まりの中で、淫行愛のスフェアと結婚愛のスフェアの間の中央にあり、均衡をつくるようなものである
淫行愛と結婚愛の二つのスフェアについて前章で扱いました。そして、淫行愛のスフェアが地獄から上昇し、結婚愛のスフェアが天界から下降することを示しました(435番)――それらの二つのスフェアは互いに両方の世界で出会います、しかし互いに結合しません(436番)――それらの二つのスフェアの間に均衡があり、人間はその中にいます(437番)――人間は自分自身を、好むところであるそのスフェアへ向けることができます、しかし、一方へ向ければ向けるほど、それだけもう一方から自分自身を背かせます(438番)。スフェアによって何が意味されるか〔示しました〕(434番、そこに引用された箇所から)。
[2]私通の情欲のスフェアはそれらの二つのスフェアの間の中央にあり、均衡をつくっていることは、だれかがその中にいる時、結婚愛のスフェアへ、すなわち、この愛へそしてまた姦淫愛のスフェアへ、すなわち、この愛へ自分自身を向けることができるからです。しかし、結婚愛へ向けるなら、自分自身を天界へ向けます。姦淫愛へ向けるなら、自分自身を地獄へ向けます――両方とも人間の選択・随意・意志の中にあります、その理由は、本能からでなく理性にしたがって、自由に行動することができ、それゆえ、人間であり、そして流入を自分のものにすることができるためであり、その何も自分のものにしない獣でないためです。
私通の情欲が始まりの中でどんなものであるか言われるのは、その時、中間の状態の中にあるからです。
それぞれの人間が始まりの中で行なうことは、自然的な人からなので、欲望からであることを、だれが知りませんか? また、自然的なものから霊的なものになる時、その欲望は〔その人間に〕帰せられないことを、だれが知りませんか?
私通の情欲も、人間の愛が結婚愛になる時、同様です。