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結婚愛 481

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481 天使により直前の478番で明らかにされたように、姦淫の中に何らかの罪が賢明な者から見られないという今日の時代の愚鈍がどんなものであるか、再び、知られるために、ここにこのメモラビリアを付け加えます――

いのちが身体の中にあったときの習慣から、独特な策略で私を悩ませ、このことを正直な霊によくあるような、いわば波のように動くいくぶん柔らかな流入によって行なった霊たちがいた。しかし、捕らえ、欺くための狡猾さやそれに似たものが彼らの中にあることが知覚された。
ついに私は彼らのひとりと話し、「私は世で生きたとき、軍隊の司令官であった」と言われた。
私は、彼の思考の観念の中に好色があるのを知覚したので、私は彼と表象的なものとともに、意味を十分に、そして瞬間に多くのことを表現する霊的な言葉で話した。
彼は、「前の世界で、いのちが身体の中にあったとき姦淫を何ものでもないと見なした」と言った。  しかし、彼に「姦淫は極悪です。たとえとりこにする快さから、そしてそこからの確信から、極悪なものでなく、実に許されるようなものに見えても姦淫はそのようなものです」と言うことが与えられた。さらにまた次のことから知ることができることも言った。結婚は人類の苗床であり、ここから天界の王国の苗床でもあり、それゆえ、踏みにじってはならず、聖なる思いを抱くべきものであること。さらに次のことからも、霊界にいて、知覚の状態の中にいるので、結婚愛は主から天界を通って降ること、そしてその愛から、両親からのように、天界の支柱である相互愛が導かれることを知ることができることである――「このことから、姦淫する者は、ただ天界の社会に近づくだけで、自分自身の悪臭に気づき、そのことから自身自身を地獄へ向けて突き落とします。〔あなたは〕少なくとも知ることができたはずです。結婚を踏みにじることは、神的な秩序と人間の秩序に、他にも多くのことに反しているので、神的な律法に反し、またすべての国の民法に反し、なおまた理性の本物の光に反し、このように国民の法律(権利)に――さらに多くのものに反していることです」。
[2]しかし、彼は、「いのちが身体の中にあったとき、このようなことを考えなかった」と答えた。このようであるかどうか、推論することを欲した。
しかし、彼に、「真理は推論することを許しません、というのは、霊の快さに対抗して肉の快さで支えられ、それがどんなものであるかあなたは知らないからです。最初に、言われたことそれらについて、真理なので考えなくてはなりません。または、だれも、他の者が自分自身に行なうことを欲しないことを他の者に行なってはならないという世で最もよく知られている原則から考えなくてなりません。また、だれかが、すべての結婚で最初にそうであったように、最も愛した自分自身の妻を、このような方法で欺いたなら、その時、そのことについて激しく怒った状態の中にいて、その状態から話すなら、自分自身も姦淫を嫌ったかどうか、そしてその時、才能が与えられているので、他の者よりも姦淫に反対し、そのことを地獄へと断罪するようにまでも確信したか考えなくてなりません――軍隊の司令官であり、そこに剛健な者とともにいたので、それが自分に侮辱とならないように、姦淫者を殺すがあるいは淫婦を自分の家から追い出したのではありませんか」と言った。