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神の愛と知恵 130

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130 天使が自分の顔を常に太陽としての主に向けているのは、天使が主の中にいるから、主が彼らの中におられ、主は内的に彼らの情愛と思考を導かれ、またその情愛と思考を常にご自分に向けられるからです。それゆえ、太陽としての主が見える東へしか目を向けることができません。
ここから、天使が自分自身を主へ向けるのではなく、主が彼らをご自分に向けられることが明らかです——というのは、天使が主について内的に考えるとき、その方について自分自身の中にいるとしか考えないからです。内的な思考そのものは距離を生みませんが、目の視覚と一つとして働く外的な思考は距離を生みます。その理由は、外的な思考は空間の中にありますが、内的な思考は空間の中にないからです。距離は、霊界の中のように、空間の中にありませんが、それでも空間の外観の中にあります。
しかし、これらは神について空間から考える者にはほとんど理解されません。というのは、神はどこにでも存在しますが、それでも空間の中に存在されないからです——このように天使の内にも外にも存在されます。ここから、天使は神を、すなわち、主を自分自身の内と外とに見ることができます。愛と知恵から考えるとき自分自身の内に、愛と知恵について考えるとき自分自身の外に見ます。
しかし、これらについては特に『主の遍在、全知、全能について』の論文の中で述べます。
すべての者は、「神はご自分を人間に注ぎ込まれ、人間の中におられる、もはやご自身の中にはおられない」という憎むべき異端に陥らないよう自戒すべきです。そのときそれでも、神は人間の内と同じく外のどこにでも存在されます。というのは、(前の7―1069―72番に示されたように)空間なしにすべての空間の中に存在されるから。なぜなら、神が人間の中におられるなら、分けることができるだけでなく、空間に閉じ込められてしまい、それどころか、人間はそのとき自分自身が神であると考えることができるからです。
この異端は、霊界の中では悪臭を放つ死体のように、忌まわしいものです。