神の摂理 116
116 外なる人の中の悪は、人間によってでなければ、主により遠ざけられることができないことは、主の神的な摂理から、人間が聞き、見、考え、意志し、話し、行なうものは何でもまったく彼のものであるように見えるからです。
その外観なしに、人間には神的な真理の何らかの受け入れはなく、善を行なおうとする決定もなく、愛と知恵、なおまた仁愛と信仰を自分のものとすることもなく、ここから主の結合はなく、それゆえ、改心と再生はなく、したがって救いもなかったであろうことは、前に示されています(71-95番とその続き)。
その外観なしに、罪からの悔い改めは、それどころか信仰もありえないこと、なおまた、人間はその外観なしに人間でなく、しかし、理性的ないのちを欠いて、獣と等しいことは明らかです。
自分の理性を欲する者は、人間が善と真理について、霊的にも、道徳的で市民的にも、自分自身から考えるように見えているだけではないかと思い巡らします。その時、すべての善と真理は主からであり、決して人間からではないという、教えを受け入れなさい。この結果、あなたは、人間が自分自身からのように善を行ない、真理を考えなくてはならないこと、しかし、それでもそれらが主からであること認なければならないことを認めるのではありませんか?それゆえ、さらにまた人間は自分自身からのように悪を遠ざけ、しかし、それでもそれを主から行なうことを認めなくてはなりません。