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神の摂理 124

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124 これらに私は天使の知恵の二つの秘義を付け加えます。それらから神的な摂理がどんなものか見られることができます――一つは、主は、人間の個々のもののもとの何らかの細部の中で、同時にすべてのものの中でないなら、決して働かれないことです。もう一つは、主は最内部からと最外部から同時に働かれることです。
主は、人間の個々のもののもとの何らかの細部の中で、同時にすべてのものの中でないなら決して働かれない」のは、人間のすべてのものが多くのもののようでなく、しかし一つのように働くような、このような結びつきの中にあり、結びつきによってこのような形の中にあるからです。
人間が身体に関してこのような結びつきの中と結びつきによって、このような形の中にいることはよく知られています。
人間の心もまた、すべてのものの連結から同様な形の中にあります、なぜなら、人間の心は霊的な人間であり、そしてまた実際に人間であるからです。
ここから、人間の霊は、それは身体の中の彼の心であって、すべての形の中で人間です。それゆえ、人間は、死後、世の中でのように等しく人間ですが、ただ、世の中で彼の身体をつくったぬけがらを捨てたという相違があります。
[2]さて、人間の形は、すべての部分が共通なものをつくるような、一つとして働くようなものであるので、あるものは残りの(他の)同意の中でないなら、場所を取り除かれること、そして状態に関して変えられることができないことがいえます。なぜなら、もし一つのものが場所を取り除かれ、また状態に関して変えられるなら、一つとして働く形は傷つくからです。
これらから、主は、何らかの細部の中で、同時にすべてのものの中でないなら決して働かれないことが明らかです。
天使の全天界は主の視野の中で一人の人間のようであるので、そのように主は天使の全天界の中で働かれます。
そのようにまた、それぞれの天使は最小の天界の形をしているので、主はそれぞれの天使の中で働かれます。
このようにさらにまた、〔主は〕それぞれの人間の中で、最も近く彼の心のすべてのものの中で、これらによって彼の身体のすべてのものの中で働かれます。なぜなら、人間の心は彼の霊であり、主との結合にしたがって天使であり、そして身体は服従するものであるからです。
[3]しかし、主は人間のすべての細部の中の個々のものに、それどころか最も個々のものにもまた、しかし、同時に彼の形のすべてのものの中で働かれることをよく注意して見なければなりません。しかしそれでも、何らかの部分の状態は、すなわち、細部の中のものの何らかのものは、形の全体に適合しないなら、変えません。
しかし、これら多くのことについては続くものの中で述べます、そこに、主の神的な摂理は個々のものの中にあるので普遍的であること、普遍的であるので個々のものの中にあることが示されています。
[4]「主は最内部と最外部から同時に働かれる」のは、このようにまた他と異なることなく、すべてと個々のものは結びつきの中に保たれ、中間のものは継続的に最内部から最外部まで依存し、最外部の中に同時にそれらがあるからです。なぜなら、論文『神の愛と神の知恵について』の第三部の中で、最外部の中に最初のものからすべてのものは同時に存在することが示されているからです。
さらにまた、永遠からの主、すなわち、エホバが世の中にやって来られたこと、そしてそこに、最初のものから同時に最後のものの中で存在することができるように、最後のものの中で人間性をまとい、とられ、このように最初のものから最後のものによって全世界を支配すること、したがって人間を救うこと、それらをご自分の神的な摂理の法則にしたがって、それらはまたご自分の神的な知恵の法則であり、救うことができるのはこのことからです。
そこで、主が世にやって来られなかったなら、死すべきもの(人間)はだれも救われることができないことはキリスト教世界の中でよく知られていることであり、それについて『新しいエルサレムの教え 信仰について』に見られます(35番)。
ここから、主は「最初の者」と「最後の者」と言われます。