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結婚愛 88

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88 (3) 善の真理が存在し、これから真理の善が存在する。すなわち、善からの真理が存在し、そしてその真理からの善が存在する。それらの二つのものに創造から一つのものへの性向が、それら自体を結合させるために植え付けられている
これらについて何らかの明瞭な観念を得ることが必要です、結婚愛の本質的な起源についての知識はここからであるからです。というのは、〔以下に〕続けられるように、善の真理すなわち善からの真理は男性(のもの)であり、真理の善、すなわち、その真理からの善は女性(のもの)であるからです。しかし、このことは、もし善の代わりに愛が、真理の代わりに知恵が言われるなら、さらに明瞭に把握されることができます。それらが、同じ一つのものであることは前に見られます(84番)。
知恵は、賢明になろうとする愛によってでなくては人間のもとに存在するができません。この愛が取り去られるなら、人間はまったく賢明になることができません。この愛からの知恵は、善の真理すなわち善からの真理によって意味されます。しかし、人間が自分自身にその愛から知恵を得る時、それを自分自身の中で愛します、すなわち、そのために自分自身を愛します、その時、愛を形作ります、それは知恵への愛であり、また〔その愛は〕真理への善〔であり〕、すなわち、その真理からの善によって意味されます――
[2]そこで、男のもとに二つの愛があり、それらの一つは、前のものである賢明になる愛、もう一つは、後のものである知恵への愛です。しかし、この愛は、もし男のもとにとどまるなら、有害な愛であり、傲慢すなわち自己知性への愛と言われます。この愛が男から取り出され、彼を滅ぼさないように、妻の中に移され、結婚愛が生じ、それが彼を回復するために創造から備えられたことを続きの中で説明します。
これらの二つの愛について何らかのものが、また後の愛が女の中に移されたことについて、前に見られます(32, 33番と予備的なもの20番)。
それゆえ、もし愛の代わりに善が、知恵の代わりに真理が理解されるなら、その時、言われたことから、今や、善の真理すなわち善からの真理が存在すること、これから真理の善すなわちその真理からの善が存在することが明らかです。