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結婚愛 193

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193 (8) 「創造の書」の記述にしたがって、女は実際に男の妻として形作られている
この「書(「創世記」)」の中に、女は男の肋骨から創造されたことが言われています。また、男は、連れて来られたとき、「これは私の骨からの骨、また私の肉からの肉。イシャと呼ばれなければならない、イシュ(男)から取られたからである」(2:22–24)と言いました。みことばの中で、胸の「肋骨」によって、霊的な意味で、自然的な真理以外の他のものが意味されません――これは雄熊の歯の間にあった「肋骨」によって意味されています(ダニエル7:5)。なぜなら、「雄熊」によって、みことばを自然的な意味で読み、そして理解しないでそこに真理を見る者が意味されるからです。男の胸によって、その本質的なもの、そして女の胸からは区別されるプロプリウム(固有のもの)が意味されます。それが知恵であることは、前に見られます(187番)。なぜなら、肋骨が胸を支えるように、真理は知恵を支えるからです。これらが意味されるのは、すべてのものの中心のように、胸はその中に人間のすべてのものが存在するからです。
[2]これらから、女が男から創造されたこと、彼の自然的な真理からのものである知恵のプロプリウムが転移によって、またこの愛が結婚愛となるために男から女の中に移されたことが明らかです。またこのことは、男の中に自己愛がないように、しかし妻への愛があるために行なわれました。彼女は自分自身に生来の性質から、男のもとの自己愛を自分自身へのその愛に変えることしかできません、私は、「このことが妻の愛そのものから、男が知らないうちに、妻も知らないに、行なわれる」ことを聞きました。ここから、自己愛からの自己知性の傲慢の中にいる者は、決してだれをも真の結婚にふさわしいように配偶者を愛することができません。
[3]男から女が創造されたこの秘義が理解された後、女が同様に、あたかも創造されたかのように、すなわち、結婚の中で男から形作られ、このことは妻から、またはむしろ主から妻によって行なわれ、主は女の中にそのように行なうことへ向けて性向を注ぎ込むことを見ることができます――というのは、妻は自分自身の中に、男の情愛を自分のものにすることによって彼の映像を受け入れるからです(前の173番参照)。また、男の内なる意志を自分のものと結合させることによってです、そのことについて〔この後〕続けます。そしてまた、自分自身に彼の霊魂の派生物を引き寄せることによってです、そのことについても〔この後〕続けます。
これらから、「創造の書」で、内的に理解された記述にしたがって、女が妻に形作られたこと、そのようなものによって、それらを夫とその胸から取り、自分自身に刻み込んだことが明らかです。