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結婚愛 240

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240 (5) 冷淡の内なる原因の最初のものは、両者による宗教の拒絶である
教会の聖なるものを顔から後頭部へまたは胸から背中へ退ける者のもとに、善の愛は存在しません。もしある者に身体から見られても、それでも、その者は霊の中で存在しません。このような者のもとでは、善が悪の外に位置し、これが輝く金の衣服のように腐敗した身体をおおっています。
内部に住んでいる悪は、全般的に憎しみでおおわれており、ここからすべての霊的な者に対する内部の闘争があります。というのは、彼らは本質的に霊的なものである教会のすべてのものを退けるからです。また、前に示されているように、真の結婚愛はすべての霊的な愛の根本的なものであり、〔その悪が〕それらに対立する内的な憎しみであること、また彼らのもとの内部のすなわち固有の愛は対立するためのものであり、それは姦淫のものであることが明らかです。それゆえ、彼らは、結婚愛はそれぞれの者の教会の状態にしたがっているというこの真理を、他の者よりもさらに愚弄するでしょう。それどころか、真の結婚愛を口にするとき、おそらく声高に笑うでしょう。このことがあるかもしれません。しかし、彼は許されるでしょう、淫行での抱擁について考えることよりも、結婚での抱擁について考えることが、彼らにとって、ラクダを裁縫の針の穴を通って押し込むことのように不可能であるからです。
このような者は、結婚愛に関して、他の者よりも冷たくなります。もし夫婦で結びついているなら、このことは前に列挙された外なる原因だけから生じ(153a番)、それらは抑え、縛るものです。
これらの者のもとの内的なものは、それらは霊魂とここからの心に属すものであり、ますます閉ざされ、身体の中に閉じ込められ、その時、性愛もまた価値がなくなります、または、身体の内的なものの中で、ここから彼らの最も低い思考の中で狂って、好色に振る舞います。メモラビリアの中で意味される者もまた彼らです(79番)、もし〔彼らに〕喜ばしいものであるなら、彼らはそれを読むでしょう。