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神の愛と知恵 399

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399 (1) 愛または意志は、人間のいのちそのものである
このことは、意志と心臓の対応からいえます(そのことについて前の378―381番)、なぜなら、心臓が身体の中で働くように意志は心の中で働き、身体のすべてのものが、存在と運動に関して、心臓によるように、心のすべてのものは、存在といのちに関して、意志によるからです。
「意志による」と言われますが、意志は愛の容器であり、愛はいのちそのものであるので(前の1―3番に見られる)、「愛による」ことが意味され、いのちそのものである愛は、主おひとりからのものです。
心臓から、また心臓が動脈と静脈を通って身体の中へ拡張することから、愛または意志は人間のいのちであることを知ることができます。互いに対応するものは、一つは自然的であり、もう一つは霊的であるという相違とともに、それらは同様に働くからです。
心臓が身体の中でどのように働くかは解剖学から明らかです。例えば、生きているかまたはいのちに従っているすべてのものは、そこに血管を通って送り出された心臓が働き、生きないすべてのものは、そこに心臓がその血管を通って働いていないことです。さらに、心臓は身体の中で働く最初のものと最後のものです——最初のものであることは胎児から明らかであり、最後のものであることは死につつある者から明らかです。肺の協力なしに働くことは、窒息から、また気絶から明らかです——ここから、身体の従属的ないのちは心臓だけによるのと同様に、心のいのちは意志だけによること、胎児、死につつある者、窒息や気絶からも明らかであるように、心臓は呼吸が止まっても働くのと同様に、意志は思考が止まっても生きていることを知ることができます。
これらから、愛または意志は人間のいのちそのものであることがいえます。