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結婚愛 497

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497 (16) このことは、最後には教会と宗教のすべてのものを自分自身から退けるほどのものになる
意図からまた確信からの姦淫者が、教会と宗教のすべてのものを自分自身から退けることは、結婚愛と姦淫が対立していて(425番)、結婚愛は教会と宗教のすべてのものと一つのものとして活動するからです(前の「部」の130番と他のどこの箇所でも)。ここから、姦淫愛は、教会に逆らうものと対立しているので、それらと一つのものとして活動します。
それらの姦淫者たちが教会と宗教のすべてのものを自分自身から退けることは、結婚愛と姦淫が対立し、善と真理の結婚が悪と虚偽のつがい(交尾)のように対立しているからです(427, 428番)。そして、善と真理の結婚は教会です、しかし悪と虚偽のつがい(交尾)は反教会です。
それらの姦淫者たちが自分自身から教会と宗教のすべてのものを退けることは、結婚愛と姦淫が天界と地獄のように対立しているからです(429番)。天界に教会のすべてのものへの愛があります、しかし、地獄に教会のすべてのものへの憎しみがあります。
[2]それらの姦淫が教会と宗教のすべてのものを自分自身から退けることは、それらの快感もまた肉から始まり、霊の中でもまた肉のものであるからです(440, 441番)。肉は霊に逆らっています、すなわち、教会の霊的なものに逆らっています――ここからもまた、淫行愛の快感は狂気の快楽と呼ばれています。
あなたがたが証明を望むなら、どうぞ、あなたがたが姦淫者であると知っている者に近づき、ひそかに質問しなさい、神について、教会について、また永遠のいのちについて何を考えているか、するとあなたがたは聞くでしょう。
真の理由は、結婚愛が心の内的なものを開くように、またこのようにそれを身体の感覚的なものの上に天界の光と熱の中に高揚させ、そのように逆に、姦淫愛は心の内的なものを閉ざし、心をその意志に関して身体の中に、その肉のすべての欲したものの中にまで押し下げ、深ければ深いほど、ますます心を天界から取り去り、追い払うことです。