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30 みことばには、人間は悪から清められていないかぎり、その善は善ではなく、その敬虔も敬虔ではなく、賢明でもなく、その逆も教えられています。これらの中に――
あなたがたにわざわいあれ、律法学者たちとパリサイ人たち、偽善者たちよ。あなたがたは自分たちを白く塗りたてる墓に似せるからです。それは確かに外側では白く見えます、けれども、内部は死人の骨とあらゆる不潔でいっぱいです――あなたがたもまた外側では確かに正しい者に見えます、けれども、内部は偽善と不法でいっぱいです。あなたがたにわざわいあれ……あなたがたは杯と皿の外側をきよめます、けれども、内側は強奪と不摂生でいっぱいです。パリサイ人よ、盲目の者よ。最初に杯と皿の内側をきよめなさい、外側もまた清潔になるために(マタイ23・25―28)。
なおまた「イザヤ書」の次のものから、
エホバのことばを聞け、ソドムの首領たち。私たちの神の律法に耳を傾けよ、ゴモラの民。あなたがたのいけにえの多くは、わたしにとって何なのか?……むなしい穀物のささげ物を携え加えるな。香をたくことは、わたしに忌まわしいものである、新月の祭りと安息日も……わたしは不法……に耐えることができない。新月の祭り……とあなたがたの例祭を、わたしの心は憎む……。そこで、あなたがたが手を伸ばす時、わたしの目をあなたがたから隠す。そしてまた、あなたがたが祈りを増し加えても、わたしは聞くことがない。あなたがたの手は血でいっぱいである。あなたがたを洗え、あなたがたをきよめよ、わたしの目の前からあなたがたの働きの悪を取り除け。悪を行なうことをやめよ。……たとい、あなたがたの罪が緋色のようでも、雪のように白くなる。たとい赤くても……羊毛のようになる(イザヤ1・10―18)。
これらを要約すると、人間が悪を避けないなら、すべての彼の礼拝は、同様にすべての彼の働きも善ではないということです。なぜなら、「わたしは不法に耐えることができない」「あなたがたをきよめよ、あなたがたの働きの悪を取り除け、悪を行なうことをやめよ」と言われているからです。
「エレミヤ書」には、「それぞれの者は自分の悪の道から立ち返れ、あなたがたの働きを善へと戻せ」(35・15)とあります。
[3]その者が賢明でもないことは――「イザヤ書」に、
自分自身の目に賢明な者に、自分自身の顔の前に知性のある者に、わざわいあれ(5・21)。
同書に、
知恵ある者の知恵は……知性ある者の知性は滅びる。深く賢明である者に、わざわいあれ……彼は働きを暗やみの中で行なう(29・14、15)。
また同書の他の箇所に、
助けのためにエジプトに下る者に、わざわいあれ。彼らは馬にたより、戦車が多いことに、強い騎手に信頼する……しかしイスラエルの聖なる方に目を向けず、エホバを求めない。しかし主は、悪意のある家に対して、不法の行ないの助けに対して起き上がられる。なぜなら、エジプトは〔人間であって〕神ではなく、その馬は肉であって霊ではないから(31・1―3)。
このようにプロプリウムからの知性が記述されています。
「エジプト」は知識です。「馬」はそこからの理解力です。「戦車」はそこからの教えです。「騎手」はそこからの知性です。それらについては、「彼らにわざわいあれ。イスラエルの聖なる方に目を向けず、エホバを求めない者」と言われています――悪によって彼らが滅ぼされることは、「主は、悪意のある家に対して、そして不法の行ないの助けに対して起き上がられる」によって意味されます――これらはプロプリウムからであり、それゆえ、それらの中に、いのちがないことは、「エジプトは人間であって神ではない」こと、それと「その馬は肉であって霊ではない」ことによって意味されます。「人間」と「肉」は人間のプロプリウムであり、「神」と「霊」は神からのいのちであり、「エジプトの馬」はプロプリウムからの知性です。
みことばの中には、自分自身からの知性について、主からの知性についてといったようなものが多くありますが、それらは霊的な意味によってだけ明らかとなります。
[3]自分自身からの善によっては、それは善ではないので、だれも救われないことが次のことから明らかです――
わたしに、「主よ、主よ」と言う者がすべて天の御国に入るのではなく……わたしの父の意志を行なう者が入ります。その日には、多くの者がわたしに言います。「主よ、主よ、私たちはあなたの名前によって預言しました。またあなたの名前によって悪霊を追い出しました。またあなたの名前の中に多くの力あるわざを行なったではありませんか?」 しかしその時、わたしは彼らに宣言します。「わたしはあなたがたを知らない。わたしから立ち去れ、不法を行なう者よ」(マタイ7・21―23)。
また、他の箇所に、
その時、あなたがたは外に立ち、戸をたたき始めます。「主よ……私たちに、開けてください」と言って。……言い始めます。「私たちはあなたの前で食べ、飲み、そして私たちの街路であなたは教えてくださった」。しかし言います。「わたしはあなたがたに言う。わたしはあなたがたがどこからであるのか知らない。わたしから立ち去れ、不法を行なうすべての者よ」(ルカ13・25―27)。
というのは、次のパリサイ人に似ているからです、
その者は神殿に立ち、祈って、「私は他の人間のように、強奪する者、不正な者、姦淫する者ではなく、週に二度断食し、また所有したすべてのものの十分の一を与えました」と言いました(ルカ18・11―14)。
さらにまた彼らは、「役に立たないしもべ」(ルカ17・10)と呼ばれている者です。